昭和48年12月24日 朝の御理解



 御理解 第85節
 「女の身の上、月役、妊娠、つわりに、腹痛まず、腹帯をせずして、産前、身軽く、隣知らずの安産、産後、よかり物、団子汁をせず、生まれた子に五香いらず、母の乳をすぐ飲ませ、頭痛、血の道、虫気なし。不浄、毒断ちなし。平日のとおり。」

 金光大神でなからねば、教祖様でなからねば、頂けない言えない、そのものずばりに教えておられる感じの御理解です。なかなか神様を信じておる、教祖様を信心しておるというても、なかなか今ままでの因習というか、いわゆる習慣というか、今までの思い込みというものを、一掃する一蹴するというだけの力を持った、いうならば、御理解だと思いますね。このどこを読ませて頂いてもそうです。
 隣しらずの安産のおかげ頂かせて頂くためには、このくらいないうならば、度胸、度胸というか実はそれの方が本当なんだけれども、なかなか人間のまあ小さい知識、狭い考え、そういう一つの思い込みが、なかなか教祖様はそうおっしゃるけれども、やはりというような、いうならば、実行しにくい御教えとこういう、これが出来るときに私は、教祖様のお言葉を信じていると言えるのじこないかと思うですね。
 そんなにいうなら、まあいうならば、これが本当に平日のとおり最後に仰っとるが、何でもない時と同じような在り方になられる心の状態と言う事がね、私はそこをひとつおかげ頂かにゃいかん。それでやはり様々な稽古というか、いろいろな角度からなされなければいけない。これは女の身の上の事を言うておられますけれども、これは女だけではない。私共が例えばそれに匹敵するような問題は私共の上にも沢山ある。
 昔の私のばば達の信心というか、それは信心は分ってなかったけれども、教えられたことを一つの思い込みとして、それを実行するというかね、まあ様々な場面を私は見てきとりますが、色々な事がありましたね。一ぺん父が小説を毎晩読んでくれるんですね、皆なに、まあ、親、家内子供にそして一時間位読みよったでしょうか、毎晩それが楽しみなんです。それで昔は電気がこの部屋とあの部屋にどれもなかったですね。
 ですから本を読むのに、ばばが電気を向こうからこっちへ持ってくるつもりが、向こうの方へ板張りにまたがったつもりで電気を取ったところがまたがり損ねて落ちて、そしてこの鼻の下のこれをね、子供心にもびっくりするごともう打ち切ってしまった。切れた。それでもう早う医者を呼んで来にゃというたけど、はばが要らん要らんちゅうから手でこうこうやってしましてね、私はいつもばばが一緒に寝ませてもらいよったが、もう子供ながらやっぱり心配でした。
 ずっと私が、いつ目をさましても生神金光大神様、生神金光大神様というて、これをこうやって後で自分がつまんでひっつけたとこう言います。翌日ひっついとったです、もう本当にこの神様ばかりは、勿論お神酒さんつけてでしたけどね、又私共怪我いたしましても、生神金光大神さま、天地金乃神様というて膝坊主を打ち割ったっちゃすぐその土をね、ねじくってくれよりました。そういう一つの思い込みというか、そういうものが生活の全般にわたって出来る程しのおかげ。
 それを信じれる程しのいうならば、信の力というものを、これはもう生活全般に渉って、そういうおかげを頂かなければならぬ。三井教会の先代の、あれは三十年祭、私が北京から帰ったその年が、あちらの親先生の式年祭でした。そして奥城の掃除、そしてあそこに砂撒きを、砂をいっぱい撒かにゃいけませんのを、誰かが若い青年の方が、一人手伝ってくれましたが、ほとんど私が中心になって、川から砂を持って着て、奥城に砂を撒かせてもらった。
 もういっぺん行けばよいというときに、私がこう早道して行くので、こう藪の中から田んぼの中をこう行けば、近くなりますから、上のどん田から下へ飛び降りたところへ、竹を切った根があったわけです。それがあった。それで足の裏をざっくり踏んだ。それでも足をチンガチンガしながら最後の砂を撒かせて頂いて、夕方になりまして、お礼のお届けをさして頂きましたら、大坪さんお風呂へ入れと親先生がおっしゃる。
 その時に、はあ、今日はとても入れません。こげな怪我しとりますからと思うたけれども、もう、親先生のおっしゃることは神様のおっしゃること、金光大神のおっしゃる事だというような頂き方を一生懸命稽古しておる時ですからね、もう、それこそハイと言うておかげを頂いた。もう中にワクワクしとるから、歩いとるから砂やら土がいっぱい入っとるけども、これもやはり、天地の親神様の御恵みのものだと言う様な頂き方で、中に入っとるのも取りもしませんけども。
 まあ入ったら、しむこつ、しむこつ、まあそれからおかげを頂きまして、御神酒と、それから御神水も親先生が、もう今日は怪我しとりますけん今日は御無礼しますとそれは当たり前のごとしていえることだけれども、そこに稽古の姿勢があると思うですね。おかげを頂きまして、そうですね、二十日位している内に綺麗に「ツウ」が出来てもうぼじり痒いかごとなった。それでいわば安心した。はあ成程、医者じゃ薬じゃ要らんもんじゃなあ、こうして治るもんじゃなぁと思うた。
 そして段々確実に近づいてきた。ところがです二十日目位から、もうほとんどよくなって、ツウを取ってよか位になったところへ、ツウを取ったところから、何というでしょうか「ゆかぜが入った」とでも申しましょうか、足がこう腫れあがった。そこからです又これは私の信心の油断として、そこんところを又次のおかげは一ケ月位かかりましたでしょう。けれども私はね、稽古の姿勢をとらなければいけないと、例えばこの命というものを、天地の親神様から恵まれておる命である、肉体である。
 ですから、造り主であるところの、天地親神様に修繕してもらうのが一番よい、例えばお話には頂いとってもそれば実行するチャンスというものはいつもはないと思う。中島の上滝さんが、あの世行きする寸前の時でも、私はそれが試したかった。もう九大の有名な結核専門と言われる、大変権威のある先生がみえられて、もうこれは時間の問題だと言われた。その後に私が行った。もうそれは本当に死ぬ寸前の形相が、形相というかね、もうそういう状態でした。
 家族のものはもう傍によりつききらんというような、粟粒結核でしたからね、それでも私はあそこの床の間に御神米を置いて御祈念させて頂いて、例えばこういうようないうなら、両足をお棺に突こんでおるような状態の病人であっても、まだ息がある。神様はいうなら、息の差し入れも神様がなさる。生きる死ぬは神様のおかげを頂かなければ出来ない。さあ、ここにどうでもこの氏子を生かして下さい。一ぺん助けて下さい。でないと私が承知がいきません。
 お話の実証というものがなければ、本当に神様はこんな病人でも、助ける気になられたら、助けて頂くことが出来なさるんだという確証をつかみたい。その為には、どげな修行もしますという事だった。その時に頂きましたのが葡萄の腐ったような、半分はもうほとんど腐ったようなぶよぶよの葡萄を皿に盛って頂いた。これが今のこの氏子の姿で、もうこれは食べられん、もう塵箱行きなんだと。いうならばもう火葬場行きなんだと、そういう御理解でした。
 それでも、尚お願いさして頂きよりましたら、その葡萄をですね、小さい壺に入れるところを頂いた。壺に、ははぁ神様はここは頂きようで、これをこの腐ったような葡萄だけれども、壺の中に入れて、そしてお水をしてそして上から蓋をしっかり蓋をしておけばです、これはアルコ-ルが出て、これは葡萄酒が出来るなあという感じでした。だからそのことを病人はもう私のいうことをわかるか分らんかのような状態だけれども、枕元で一生懸命その事を話した。
 親戚からも皆来とりましたが、親戚の者を、まあ「おげ坊主」のごとあるとが来とるというふうにも思うたでしょうけれども、私があまり熱心にお話をするから、それにつりこまれてお話をした。だから私も一生懸命になるから、あなた方も一生懸命になりなさいというて、私が北野の教会にお導きした。そして毎朝今のみちえさん、今のばあちゃんが、毎朝、毎朝北野の教会にお参りをした。
 そして私の話を毎日聞いた。そしてその合間には椛目の方にも御礼参りに来た。その頃から段々、段々やっぱりおかげを受けました。そして西鉄に復職するというおかげを頂いた。まあその間の事をいうとまあ大変なことがいろいろあったんですけれどもそういう確信とか確証を持たせて頂くためにです、そういうチャンスに恵まれた時には、本気でおかげを頂かにゃいけん。
 私は今日は今この八十五節の全文を読ませて頂きましたが、最後の不浄毒断ちなし、平日の通りという不浄毒断ちなしと言う事について、一言聞いて頂きたいと今まで、お話したのは私は、神様が金光大神このように言うて下さるが本当にそれでよいのか、例えば子供を生んでから、すぐ自分の乳を飲ませるといったようなことやらはいけない。平日の通りと言われたから、私は実際にそれを実行してみた。
 そしてやっぱり失敗してみたり、それでもやっぱり、例えば怪我のときなんかは、もうほとんどおかげを頂いて、ああ成程これで、おかげが受けられるという、確証に近いところまで行っとったけれども、油断をした。そこから又いうならば、破傷風でしょうか、いわゆるバイキンが入ったというか足が腫れて、それから一ケ月もかかったようなところにも、一つも外の事に縋らず頼らずに、神様の言葉を私のものにしたいという、信心姿勢を以てそのことに臨んだと言う事です。
 ですから不浄毒断ちなしという、自分の心にやはり不浄を犯すことがある。心だけじゃない、体も穢れたなという考え方は、実は間違いなんだけれどもです、私はそれがすっきり不浄じゃないと、確信出来るのはね、毒断ちなしと言う事をね、私は実行してそれを頂き得たもんでなければ、やはり不浄は不浄だと思うですね。穢いことをして、いやこれは神様の何とかというて、大きな顔をしとると言う事は、それは横着だと思う。
 やはり不浄は不浄と自分の心に、そこを感ずるなら、不浄と言う所をです神様にお断りするような心が、お詫びするような心がなからなければ、神様に対して御無礼になると思う。けれどもこの毒断ちなしと言う所が実際に、実行出来て始めてこの不浄なしと言う様な境地というか、信心が開けてくると思うですね。例えて申しますなら、糖尿病に甘いものはいかん、辛いものはいかんとこういう。
 私の前にはもう毒断ちなしなのである。それを平気で有難く出来れるようになった時に、不浄はないと言えるような心が開けてくると言えるのです。それも出来ずしておいてですよ、只自分が穢い事をしとってから、いや穢いことはないと平気で神様の前に出るような、私はことでは神様に対しいうならば横着であり、横柄だと思う。私はそこんところを、ひとつわかって頂きたいと思う。毒断なしと私共の父からいうとです、今私の方の聡子がずっとこのごろ、お腹の具合悪くしておる。
 それで実際生水を与えたり、いろんなものを食べさせたりしては悪いんです。下痢したり吐いたりするんです、やっぱりだからそこんところをです、も一つ前進して行って神様の方へ近づかせて頂いて、神様の御ものに悪いわけはない。もう水は悪か生ものは悪か、固かとはいかんともうすでにけちをつけしもうとる 桂先生が一番初めに教祖様にまみえられた時の御理解にね、氏子生水が体に障るあたると思うなよと、いう御理解が九州の桂先生の一番初めに教祖様から受けられた御教えははその事であった。
 米一粒でも水五合ですかね、で固めるというではないかという御理解を受けておられます。だから小倉では生水という水を大変大事にされます。あの小倉地区で流行病のチフスかコレラが流行った時にです、小倉の御神水を頂いて助かった者が数しれずであった。そのために医者が来てから談判した。桂さんあんたは医者が水を与えちゃならんという病人に水を与えたということですがどういうわけか。さあその医者の言葉に対してから、御理解をつけなさることが出来なかった。詰まってしまいなさった。
 そしたら神様から、御神前に出て御祈念をされた。御祈念をされてからお結界につかれる同時に、それこそパクパク御理解が出たと。その御理解がね、死ぬときにお湯を沸かしてくれというものがありますかと、末期の水をお湯をわかして、それを冷やしてそれを飲ますような事をしますか。その意味は私にはよくわかりません。そりゃ水の功徳ということを言われたんでしょうけれども、相手もさるものです、お医者さんが、ははあっと平伏して帰られたという。話が御伝記に残っております。
 水というものはそういう力があるものです。それを生水は悪かの、沸かしてどうのとこれは普通一般の信心から言えば、そうしなければおられないのです。可愛いなら私共でいうなら孫であり、嫁達からすりゃ可愛い娘ですから、それでもうじっちゃまのところから私のところに連れてくるとよう分るんです。又じっちゃまが何かやろうと思いござると。だから聡子を安心して傍に置かれんのです。けどもそれは当たり前です。
 けれども今日あたりの所を頂こうとするならば自分の娘を犠牲にしてでも神様がお造りなさった御水、神様にお造りなさった食物にどれが良いの悪いのだと言う事がないんだという、確信を持ったときに食べものなら、食べものの世界がぐうっと広がって来るでしょう、おかげの世界が広がって来るのです。私共の場合はもう医者がいけないというものでも、私は有難く頂かして貰う、いわゆる毒断ちなしと言う所通らせて頂いて、初めて私は不浄がないと言う事が言えるのじゃないかと言う事を私は聞いて頂いた。
 ここに今日、ドライな信心とでも申しましょうかね、自分がわざわざそれこそ、不浄だらけの事をしておりながら、それを心にひっかからんような考え方はそれは間違い。不浄は不浄、御無礼は御無礼ですから、そこは不浄であるときは先にことわりおいて願えとおっしゃるような信心が、本当に出来なければいけない。そしてその一切がおかげ、それこそ糞も小便もおかげとして頂けれるようなです、頂けと言う事は食べると言う事じゃないですよ。そこんところをわからせて頂くと言う事がです。
 毒断ちなしと言う所を一遍通らして貰わなければ、決して食べようごとないものを、食べよというのじゃない。飲みたくないものを飲めというのじゃない。お酒は私の好物、甘いものも好物、神様がこういう好きなものを与えておって下さる。だから大酒大食は許されない。けれどもそれを頂くとして頂けれる信心、そこに私は毒断ちなしという信心が身に着いた時だとこう思のです。そこに例えば不浄はないという世界が開けてくる。同じ食べ物であってもこれはいかん、それはいかんというその心がいかんのだと。
 教祖様が奥様に対するお言葉がそうでしょう。次々と子供が出来る出来られた。奥様がちと困られた、又出来ましたよとこう言う。ところが次に難儀な病気されたかどうかでしたかね、伝記にはっきり載ってますが、だからそのことを神様にお届けをなさったら、又出来たが、神の気感に適わぬねと仰った。又出来た如何にもそれを厄介もののような、困ったことのような見方をしておることが、神の気感に適わぬと仰った。
 食べ物でもそうです。これはいかんそれはいかんというそのいかんという心が神の気感に叶わぬ。だからどうでも私共がです、食べ物なら食べ物の世界だけでも神様が造って下さったものにケチを付ける様な事があってはならぬ。けどまあだ私にはその真がない。それだけ神様に力を頂いていない。ですから実を言うたら神様、これは神様の御下りものでもある、有難い食べ物でありますけれども、まあ私ではそれを頂き得ない。
 頂くことが出来ないところを御詫びさせて頂いて、気持ちは信心の姿勢、過程に於いて必ずそういう姿勢をもって臨まなければいけないと思うですね。今日この中から不浄、毒断なしという事について、そげなことは神様に御無礼にはならんがと言う様な考え方は、悪いことじゃないけれども、毒断なしという程しのものが頂けたときに、初めて不浄がないと言う事になるのではないかと言う事を聞いて頂いたですね。
   どうぞ。